【ジェットコースター】※山添智広最終ブログ | 東進ハイスクール 西新井校 大学受験の予備校・塾|東京都

ブログ

2022年 5月 29日 【ジェットコースター】※山添智広最終ブログ

どうもみなさんおはこんばんにちは!

このブログの下書きを竜泉寺の湯の休憩スペースで書き始めました。

東進ハイスクール西新井校 担任助手

明治大学情報コミュニケーション学部 2年山添智広です!

なんと、、今日は僕の最終ブログです。(拍手👏?)

4月くらいからブログのテーマと担当者については

阿部巧担任助手が決めくれています

通常テーマについては高3のこの時期の勉強方法ですが、

僕のところは「最後なので自由」となっていました笑。

 

 

なので、今日は思い残すことないように書いていきますし、

僕の闇落ち?した過去についても去年の夏以来に書いていきます。

【そのブログ】

 

まじで自分の話しかしないので、興味がない人はブラウザバックしてください。

書き切る頃、このブログは一体何字になっているのでしょうか笑

(5000字を超えました。時間に余裕があるときに見てくださいね笑)

今日はめちゃくちゃ文量が多くなると思うので、先に目次をかいておきます。

 

 

【目次】

・そもそもなんで担任助手をやろうと思ったのか

・1年生の時

・2年生の時

・浪人時代の時

その3年間を終えて

・本部に行きたいと伝えた話

・陸上競技の世界に戻った話

・おわりに

ではスタートします!!

 

 

 

○ そもそもなんで担任助手をやろうと思ったのか

そもそも、なぜ山添くんは担任助手になったのか。

 

 

結論としては、「学歴が上の人と戦いたかった」からです。

もう尖ってますね〜

ちなみに、担任助手になるには年によって採用方法は変わりますけど、

僕の時は担任助手内で誰を担任助手にさせたいかを話し合って決めて、

残った候補者に打診するという形でした。

だから、基本的には(というか95%くらい)担任助手側から生徒に打診という流れです。

 

 

ですが、僕は生徒時代の時、担任助手から打診されませんでした笑笑

 

なぜだか「これはおかしい!」と思った僕は

当時の校舎長に東進卒業式が終わったあとに直談判しに行き、

担任助手の方からの反対意見もたくさんありましたが、

当時の校舎長の意見もあり、なんとか担任助手になることができました。

 

当時の僕は國學院大學に進学予定でした。

この大学は第一志望ではなく、

当時の第一志望は明治大学・情報コミュニケーション学部or法学部

この時の僕は今でいう学歴コンプレックスを抱えていたと思います。

 

高校時代はそこそこの強豪校で朝5時半に起きて朝練

学校後は部活(なければ自主練。)、

東進にいって家帰ると22時過ぎというブラック企業なみに労働していました。

部活を辞めてからは毎日東進にきて受験勉強を頑張りました。

それでも、僕が行きたかった大学には行けませんでした。

 

だから、

こんな切り詰めた生活を送って努力したのに学歴で負けるのは不公平だ!

→学歴なんか関係ない!

→学歴が上の人に勝ちたい!

→上位の学歴が集まってくるのは担任助手

→担任助手やってみたい!!

こんな感じの思考回路で担任助手をやり始めました。

 

○1年生の時

じゃあそんな思いではじめた担任助手1年目はどうだったのか。

結論としては、

ある程度僕の目標である「学歴が上の人と戦いたかった」は達成できたと思います。

1年生の時はほんとに色々な仕事をチャレンジさせてもらいました。

主に1年生の時は所属は募集チーム(今の人材発掘チーム)

それとは別に今は死語になったビジネス英語チームのリーダーをやらせてもらいました。

基本的には1年生のうちからチームのリーダーになることはありませんが、

当時の校舎長が勝手に決めてました笑

1年生の時に大きく残っている思い出は2つあります。

一つ目はビジネス英語リーダーです。

その時は事前申込というものがありました。

本申込よりも手軽なことから、その提出率・数を近隣校舎で競う形になり、

初めてリーダーとしてチーム・校舎を動かました。

僕自身もリーダーとして申込期間(40日ほど)は毎日校舎に来て

情報を発信や生徒にアタックなどして努力しました。

その結果ギリギリ近隣校舎で1位を取れたのです!

その時は自分が担任助手になった理由もあり、

本当に嬉しかったですし、

当時の僕としてもやっと小さいながらも成功体験ができて

「やればできるんだ」

「上の人とも戦えるんだ」という自信に繋がりました。

二つ目は1.2月の仕事量です笑。

その時は

・募集チームの公開授業のリーダー、

・ブログ担当に募集の集計、

・先ほど書いたビジネス英語の今度は本申込、

・さらには近隣校舎合同での教務イベントの校舎リーダー、

・毎週のGM(TM)、

・大学のテスト期間

全てがいっぺんにかぶって本当に死にかけたのを覚えています。

2度とこんな仕事したくないと思いました笑

それ以外にも深夜2時まで会議とか刺激がありましたね〜。

深夜にポスティングして、そのまま校舎に泊まったこともありました。

夏休みたくさん働いて8月ものすごい額の給料をもらったこともありました。

また、この頃は近隣校舎の人にたくさん名前を売ってました笑。

知らない人にもとりあえず挨拶する的な笑。

大変でしたがそれなりに楽しかったです。

2年生になると、そのまま募集チームのリーダーになりました。

ちなみに僕は低学年チームのリーダーをやりたかった笑

 

 

○2年生の時

リーダーになったので1年生の時以上に死ぬ気で働きました。

給料でなくても校舎に来てなんか作業してました。

正確には数えてないからわかりませんが、

1年365日の中、少なくても340日は校舎に行ってたと思います。

2月連続で校舎に行くとかザラでした。

今はだいぶ復活しましたが、当時の西新井校はとにかく在籍が少なく、校舎廃校がかなりの確率で危ぶまれてました。

また、その年は僕たち2年生4人が最上級生(あと1年生9人)という非常に若い校舎でした。

今なら考えられない笑。

だから、聞く人も頼る人もいなく、一人で耐えることもたくさんありました。

2年生の時の印象に残っているのはですね。

東進には年3回の無料体験講習期間があります。

その中で冬の冬期招待講習の動員(人をどれだけ呼んだか)部門があるのですが、

そこで近隣校舎で1位。HS全校で5位になれました。

その前の夏の招待講習で失敗したこと、

そこから自分なりに考えて秋から行動したこと、

他の担任助手とも少しずつ関係を築けたこと。

もう精神的にもきつかったこと、

色々なことが積み重なって本当に嬉しかったし、自信になりました。

2年生(リーダー学年)の思い出は語りきれません。

みんなリードTEL嫌がるから1年間で過去見込みTELだけで5.600件一人で電話したこと。

色々やりすぎて孤立したこと。

半年間会議打たなかったこと。

最後までよく分からなかった同期笑。

 

そして、リーダーとして動いていた2年生の夏くらいから、

こんな感情が芽生えました。

「大学辞めて受験勉強をしたい。」

2年間働くことを通じて、

「仕事には学歴はやっぱり関係ない」ということを切に痛感してました。

また、用事があって御茶ノ水に行くことが何回かあり、

その度に明治大学のリバティータワーを見て何くそ、なんでなんだというずっと思いにかられてました。

なのに、就活とかになると上位の大学にリードをとられる。

これはもう学歴という根本を変えようと思いました。

まあ、法律学が苦痛だったというのもありますが。

そして、ここまでの担任助手2年間を通じて

自分自身に少し「やればできる(かも)」という自信が芽生え初めてたのもありました。

「今の自分ならいけるんじゃないか。」

もちろん2年間一才受験勉強のようなことはやってませんでした。

3月の上旬くらいに親に伝えて(もちろん反対されましたが)、

3月の終わりほぼ4月のタイミングで受験勉強をスタートしました。

 

 

○浪人生の時

志望校は、今では文字で見るのも

こうやって打ち込むのも嫌な早稲田大学にしました。

なんで早稲田にしたんだっけ?

明確な動機はあったんですが、嫌すぎて思い出せません笑。

受験科目は高3の時と同じ英語・国語・日本史です。

同学年が就活に向けて動き始める中、

ここで受からなかったら人生詰む

その思いで朝から夜まで勉強してました。

最初はあれだけ反対していた親(親戚含め)も

僕が本気だと思いはじめたのか呆れたのかわかりませんが、

次第に何も言ってこなくなりました。

病んだら終わり、止まったら終わりと考えていたので、

メンタルには細心の注意を払ってコンスタントに勉強し続けました。

ちなみに、前期は普通に大学の授業受けてて、

受験勉強がっつりしながら前期フル単でした。えらくない?

受験勉強を始めてから終えるまで1日も机に向かわなかった日はありません。

これからの人生で、どの局面に立ったとしてもあれ以上はできないです。

それくらいやった自負はありますし、

見切り発車の中でよく1年弱持ったな(後半はかなり危なかった)と思います。

過去問も年度別だけで、

商学部で10年×3、社会科学・教育・文化構想・文は10年×2

きっちりやり切りました。

そして最後に合格祈願・神頼みで西新井大師に3万円入れました。

 

でも、受かりませんでした。

3月4日の最後の合否の時は今でも覚えています。

2月3月はもう思い出したくもないですが、「人生おわった」

國學院大學でそのまま進級するなら、

もう就活をしないとほんとにやばい状況でした。

自己分析をしたこともなければ、業界研究をしたこともないし、

エントリーシートを見たことすらありませんでした。

だけどもう何をしようとも思えず、

これからについても何も考えられなかったです。

 

 

○東進本部に行きたいと伝えた話

今、僕は明治大学情報コミュニケーション学部に通ってます。

2回目の受験の時、早稲田大学に合格すること以外考えてなかったですが、

高3の時に自分を不合格にした明治大学をリベンジして見返してやる!

そんな思いで

高3時の第一志望学部だった法学部・情報コミュニケーション学部を受験してました。

その2学部はどちらも合格してました。

 

 

國學院4年明治1年

まあ賛否両論色々あると思います。

僕はその2択で結局、今の大学・学部に行くことにしました。

さて、受験が終わり

僕は3月になってとりあえず担任助手の仕事を再開してました。

もともと受験する時に

「再来年担任助手をやるから来年受験勉強する」と言って受験勉強をはじめてました。

ただ、受からなかったこともあり、

校舎での仕事が嫌すぎました

だから、3月31日の深夜に中下塾長に

「校舎での仕事が嫌だから本部に行かせてほしい」と言いに行きました。

その時はたくさんたくさん泣きました。

塾長からは、

「理由が消極的だから本部には行かせない」

そして、

「もう一回ゼロからの気持ちで1年生をやってみれば」と言われました。

その言葉が腑に落ち、

「ここまでの3年間はなかったことにして、

生まれ変わって新しい気持ちで第2の山添智広と思って生きよう」

「ゼロからのスタート」とそんなことを思いはじめました。

ということで、ここまで4000字弱書いてきましたが、

1年生の時からここまではいつもは無かった世界として考えています。

僕が自己紹介で1年生や2年生と言っていたのはここからきてます。

 

 

○陸上競技の世界に戻った話

ここからは現在の世界線になるので駆け足で書いていきます。

僕は明治大学体同練陸上競技部に所属し、

高3の6月以来に陸上競技の世界に戻りました

再開した理由としては、

走ることが嫌いではなかったというのもありますが、

「このままだと自分にはなんの武器もないじゃん」と思ったからです。

特に勉強をできるわけでもない。

スポーツも長距離以外はほぼできない。

めちゃ友達がいるとかモテるわけでもない。

だから

長距離走を極めてもう一度自分の武器にしようと思い再開しました。

ついでに大学の部活にも入りました。

今の部活は割と真剣に競技に取り組んでいる人が多く、

向上心を持ってやってる人が多いし、みんな人当たりが良いです。

すごく良い部活に入れたなと思います。

僕自身も練習を継続して1年が経ち、

いよいよ公認の競技会に出て、自己ベストは出せるくらいまで

自分自身の身体を高めてきました。

最初の頃なら到底できなかった練習ができるようになりました。

僕の最後の公認レース・引退レースは2017年6月11日

奇しくもそれと同じ来月の

2022年6月11日にそのとき以来の公認レースに出場します。

これも何かの縁だと思って、レースまでの日を過ごしていきたいです。

そんな感じで明治大学に入ってからは

バイトよりも陸上競技の方に重きを置いて今に至ります。

今はせっかく得たこの時間で

いけるだけ陸上競技を極めたいです。

 

 

○おわりに

書き始めたブログもいよいよおわりそうです笑。

僕の最初の同期は今社会人1年目で社会に出て働いています。

たまに「ストレートに学年が上がってたら今頃働いているんだな」と思います。

不思議ですね〜。

そのままストレートに行ってたらどんな職種・職場にいたんでしょうか笑。

明治大学に行ったことがよかったのか、

國學院大學にいたほうがよかったのか

それはわからないです。

それは後になってわかると思いますし、今の道を正解にできるようにしたいですね。

「ゼロからのスタート」と書きましたが、

もちろん完全に消去はできていません

受からなくて自信を喪失したからかもですが

プラスの言葉を言ってもらってるのに「ほんとに思ってるのか」「裏があるんじゃないか」と素直に受け取れなくなりました。

通学で大手町駅を通るのですが、

停車した時は受験当日に大手町駅から乗り換えて東西線に乗り換えた時のことをよく思い出します。

さすがに頻度は減りましたが

油断すると思い出してしまうので、

「出てくんな出てくんな」そう思ってしまうことも何度もあります。

 

 

塾長からは

「なかったことにせずに向き合った方がいいんじゃない?」とも言われました。

確かにそうかもしれません。

 

 

今はまだ向き合えません。

まだメンタル的にきついからです。

 

ですが、

またチャンスが回り、心に火がついた時。

この3年間を高い授業料にして、

強くなった自分になりたいなと思います。

10年後かも20年後かもしれませんが、いつかはまたあの世界に戻ってくる気がします。

 

 

書きたいことは7割方かけたのでブログを締めようかなと思います。

僕は最終的には成功したわけではないので、偉そうなことは言えません。

ひとつだけ

「本気になると思い出は濃くなる」

最初からここまで読んでくださった方

お付き合いいただき本当にありがとうございました!

多分HS全校舎でもやめる担任助手の中で一番最後にブログを書いたと思います。

最終的に

文字数は5900字強と大学の最終レポート並みになってしまいました。

単位ほしいですね笑

 

 

では改めて

去年の4月から

「1」年間ありがとうございました。

 

それではまたどこかでお会いしましょう。

山添智広がお届けしました!

しーゆー!

ごきげんよう!

 

明日の開校時間13:00~21:45

ブログ担当は松田担任助手です