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2017年 1月 29日 天才にはなれないけど…
こんにちは!
この時期は完全にチョコの奴隷、居石和樹です!
ここ5年くらい、だいたいこの時期になると、去年を除き百貨店のバレンタインフェアをハシゴしてチョコを買いまくります。
基本誰からもチョコをもらいません。
今年もあてはありません。
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先日相撲界で大きな出来事がありましたね。
相撲に興味のない人でもふとニュースを見たりしてみんな知っているのではないでしょうかっていうか知っとけ。
稀勢の里関が初優勝、そして横綱に昇進しました!
日本人では若乃花以来19年ぶりの横綱昇進だそうです。
*以下長いたとえ話が続きます。長い文章が苦手な方はスルーしてください。
稀勢の里関は1986年7月3日に芦屋で生まれ、まもなく牛久に移り住みました。
小中と野球をやってきて、野球の名門常総学院からのスカウトもありましたが、中学卒業後は相撲の道を選択。鳴戸親方元横綱隆の里、通称「おしん横綱」のもとへ入門しました。
*隆の里…第59代横綱。入門してまもなく糖尿病を発症し一時期成績が伸び悩んだが、見事に耐え抜いて、当時最強の横綱、千代の富士の最大のライバルとなるまでに至った。
*おしん…1983年度朝の連続テレビ小説。明治、大正、昭和という激動の時代を、多くの試練を乗り越えながらたくましく生き抜いてきた女性を描いた作品。平均視聴率は52.6%で、朝ドラ史上最高。アジアや中東を中心に海外でも人気を博し、「オシンドローム」なる言葉も流行した。
出世は速く、弱冠18歳3ヶ月で新入幕を果たしました。これは貴乃花に次ぐ2番目の若さです。
このあと勢いは失速しますが、2010年11月場所の2日目では、当時63連勝中だった白鵬を破るなど、しこ名通り「稀」に「勢」を見せていきます。
そして2011年末に大関に昇進。
しかしその直前、師匠の鳴戸親方が亡くなりました。大関昇進直前の出来事でした。
鳴戸親方は入門前の稀勢の里を熱烈に歓迎し、彼を入門させるきっかけとなった人でした。
きっと思い入れは強かったことでしょう。
そんな中でも、最近の大関は勝ち越すのがやっとな人が多い中、稀勢の里は安定して二桁勝利を重ねていくなど、実力は十分にありました。
しかし平幕力士に序盤で負けることが多く特に碧山や栃ノ心などの大型力士、また、たびたび主に夏場所優勝に手が届きそうなところまで行っては、ツメが甘く、重要な一番に負けて優勝を逃してしまいます。
例えば2012年5月場所、白鵬はケガをして不調で、稀勢の里が途中まで独走状態でした。しかし終盤にその白鵬やエストニア出身の大型力士把瑠都に敗れ、旭天鵬当時37歳に優勝を持っていかれました。
2016年5月場所では初日から12連勝の中、13日目に白鵬と当たるも敗北。白鵬に、
『強い人が大関になる。宿命のある人が横綱になる。』
と言われる始末でした。
同年11月は3横綱を破って優勝の可能性を残すも、またしても平幕の栃ノ心に負けてしまい、優勝を逃します。
このように、優勝次点は12回もあるのにも関わらず、優勝はできていませんでした。
でもその代わり、年間最多勝を獲得。優勝とは行かなくても、安定した成績を残している証なのです。
白鵬とも多くの名勝負を繰り広げるなど、まさに、「無冠の帝王」。
そして2017年1月場所。日馬富士、鶴竜という2横綱や大関豪栄道が途中休場し、白鵬も中盤で格下力士に2連敗するなか、9日目に琴奨菊後に大関から陥落に敗れた以外は全て勝ち、14日目に優勝を決めました。千秋楽も白鵬を土俵際で破り、横綱昇進へ花を添えました。
大関から横綱になるのに要した場所数は31場所。これは琴桜と武蔵丸に次ぐ遅さ。
このように、実力があって横綱昇進への期待がかねてから大きかったものの、そのプレッシャーにおされてなかなかいい結果を残せなかった稀勢の里。
かつて中学の卒業文集で、こんなことを書いていました。
「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます。」
天才は強いです。それこそ白鵬みたいに、天才になるには運命が必要なのかもしれません。
しかしその天才に限りなく近づくことは可能です。
lim努力→∞人=天才 なんです。
たとえば東大だって、天才がうじゃうじゃいるところですが、努力で入る人もいるわけです。
浪人生なんかそうじゃないですか?僕のクラスには4浪で入った人もいるんですよ。
何度もダメになって諦めかけても、周りからもうムリだ、やめろと言われても、最後まで信じてやれば天才に太刀打ちできるわけ。
努力の「天才」を目指しましょう!
大切な人、好きな人の事をおもえば、なんだってできるんだ。
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明日のブログ 梅田担任助手